イエスの再臨

  イエスは弟子たちに、彼が再び来られることを、約束なさいました。 聖書の、ヨハネによる福音書第14章1-3節に記されてあります。「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」。

  御使たちが、イエスが再び来られることを、約束しました。 聖書の、使徒行伝第1章10-11節に記されてあります。「イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて、行った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。

  どのように、イエスは再び来られますか? 聖書の、ルカによる福音書第21章27節に記されてあります。「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」。

  彼が来られる時に、何人の人たちが、彼を見ますか? 聖書の、ヨハネの黙示録第1章7節に記されてあります。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう」。

  彼が来られる時に、わたしたちは、何を見、また、何を聞きますか? 聖書の、テサロニケ人への第一の手紙第4章16-17節に記されてあります。「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」。

  来臨は、どのように、目に見えますか? 聖書の、マタイによる福音書第24章27節に記されてあります。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」。

  わたしたちが、再臨について惑わされないために、キリストは、どんな警告を与えられましたか? 聖書の、マタイによる福音書第24章23-26節に記されてあります。「そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒野にいる」と言っても、出て行くな。また「見よ、へやの中にいる」と言っても、信じるな」。

  キリスト来臨の精密な時を、誰か知っていますか? 聖書の、マタイによる福音書第24章36節に記されてあります。「その日、その時、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」。

  人間がどうであるかを知っておられるので、来臨を遅延されています。それで、キリストは、わたしたちに、何をするようにと、言われますか? 聖書の、マタイによる福音書第24章42節に記されてあります。「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである」。

  この偉大な出来事によって、わたしたちが驚かされないように、キリストは、どのような警告を与えられましたか? 聖書の、ルカによる福音書第21章34-36節に記されてあります。「あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。その日は、地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。

  どうして、イエスの再臨が、遅れているのですか? 聖書の、ペテロの第二の手紙第3章8-9節に記されてあります。「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」。

  わたしたちがイエスを待っている間、わたしたちは、どのように生活すべきですか? 聖書の、テトスの手紙第2章11-14節に記されてあります。「すべての人を救う神の恵みが現れた。そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない」。

  イエスが来られる時、この世界はどのようですか? 聖書の、マタイによる福音書第24章37-39節に記されてあります。「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアの箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう」。

  キリストの来臨は、報いの時ですか? 聖書の、マタイによる福音書第16章27節に記されてあります。「人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう」。

  なぜイエスは戻って来られるのですか? 聖書の、へブル人への手紙第9章28節に記されてあります。「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救いを与えられるのである」。

  わたしたちは、イエスの再臨で、救いの現実性を完全に経験します。 聖書の、コリント人への第一の手紙第1章7-8節に記されてあります。「こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう」。