律法主義

  律法主義は神と人の必要より以上に規則を掲げています。 聖書の、マタイによる福音書第12章9-12節に記されてあります。「イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか」。

  律法主義は奴隷制の姿です。 聖書の、ガラテヤ人への手紙第4章8-9節に記されてあります。「神を知らなかった当時、あなたがたは、本来の神ならぬ神々の奴隷になっていた。しかし、いまでは神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのか」。

  律法主義は魅力がありますが破壊的です。 聖書の、コロサイ人への手紙第2章23節に記されてあります。「これらのことは、ひとりよがりの礼拝とわざとらしい謙そんと、からだの苦行とをともなうので、知恵のあるしわざらしく見えるが、実は、ほしいままな肉欲を防ぐのに、なんの役にも立つものではない」。

  わたしたちは信仰によって救われますが、働きによって救われるのではありません。

聖書の、エペソ人への手紙第2章8-10節に記されてあります。「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである」。