罪とは何ですか? それは、神の律法を破ることです。 聖書の、ヨハネの第一の手紙第3章4節に記されてあります。「すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である」、そして、ヨハネの第一の手紙第5章17節には、「不義はすべて、罪である」と記されてあります。

  神の律法とは何ですか? それは、神が、彼自身の指で石の板に書かれたものです。聖書の、出エジプト記第20章3-17節に記されてあります。「(1)あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(2)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。(3)あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。(4)安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖徒された。(5)あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである。(6)あなたは殺してはならない。(7)あなたは姦淫してはならない。(8)あなたは盗んではならない。(9)あなたは隣人について、偽証してはならない。(10)あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

  神の律法のおもな基本は、一言で要約すると、それは愛です。 聖書の、マタイによる福音書第22章37-40節に記されてあります。「イエスは言われた、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人をあいせよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

  罪は内側から出てきます。聖書の、マルコによる福音書第7章20-23節に記されてあります。「さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。すなわち、内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、謗り、高慢、愚痴。これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。

  ひとりも他の人たちよりもすぐれているのではありません。~~わたしたちは皆、罪を犯しました。 聖書の、ローマ人への手紙第3章9-10節に記されてあります。「すると、どうなるのか。わたしたちは何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシャ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない」。

  イエスなしでは、わたしたちの罪の報いは死です。  聖書の、ローマ人への手紙第6章23節に記されてあります。「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」。

  もしもわたしのすべての罪が、わたしにとって確かでないとしたら、どうなりますか? 聖書の、詩篇第139編23-24節に記されてあります。「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください」。

  罪を神に告白して、ゆるしを受けなさい。 聖書の,ヨハネの第一の手紙第1章9節に記されてあります。「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」。

  ある罪はゆるされませんか? 聖書のルカによる福音書第12章10節に記されてあります。「また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない」。

  罪から立ち返る象徴として、わたしたちはバプテスマを受けるべきです。 聖書の、ルカによる福音書第3章3節に記されてあります。「彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた」。

   もしあなたが望みのない罪人と感じるならば、あなたは何をすべきですか?第一番目は、あなたの罪を認めます。 聖書の、詩篇第51編2-4節に記されてあります。「わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行ないました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません」。

  第二番目、あなたの罪のために許しを求めます。 聖書の、詩篇第51編7-12節に記されてあります。「ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください」。

  第三番目、神が確かにあなたを許されたことを信じて、罪意識から離れます。 聖書の、詩篇第32編1-6節に記されてあります。「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるびおとろえた。あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによって かれるように、かれ果てた。わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にも その身に及ぶことはない」。