イエス・キリストは死からよみがえられたと、聖書は断言しています。 聖書の、マタイによる福音書第28章5-6節に記されてあります。「この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい」。

  預言者が預言したとおりに、復活が起りました。 聖書の、コリント人への第一の手紙第15章3-4節に記されてあります。「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」。

  イエスの復活が、クリスチャン信仰の真理の中心です。 聖書の、コリント人への第一の手紙第15章14-17節に記されてあります。「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう」。

  わたしたちの死からの復活について、聖書は何を教えていますか? 聖書の、コリント人への第一の手紙第15章12-14節に記されてあります。「さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」。

  わたしたちのよみがえらされた体は、わたしたちの現在のものと違い、永遠のものとされます。 聖書の、コリント人への第一の手紙第15章51-53節に記されてあります。「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」。

  キリストの復活のゆえに、彼は、死んだ関係と霊的に死んだ者たちを、よみがえらせる力を持っておられます。 聖書の、ピリピ人への手紙第3章10節に記されてあります。「すなわち、キリストとその復活の力とをしり、その苦難にあずかって、その死のさまとひとしくなり」、そして、エペソ人への手紙第2章1,4,5節には、「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、、、しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし、~~あなたがたの救われたのは、恵みによるのである」。