この世で、個人の価値や其の人がどのように問題論について感じるのが絶対に大切だと思われがちですが、このことについて 聖書は何と言っているだしょうか? 聖書の、詩篇第111編4、7、8節に記されてあります。「主は恵みふかく、あわれみに満ちていられる。そのみ手のわざは真実かつ公正であり、すべてのさとしは確かである。これらは世々かぎりなく堅く立ち、真実と正直とをもってなされた」。
神は変わられるでしょうか? 聖書の、マラキ書第3章6節に記されてあります。「主なるわたしは変わることがない」。
神の御言葉は真実でしょうか? 聖書の、ヨハネによる福音書第17章17節に記されてあります。「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言葉は真理であります」。
神の御言葉は変わることがありますか? 聖書の、詩篇第93編5節に記されてあります。「あなたのあかしはいとも確かです。主よ、聖なることはとこしえまでもあなたの家にふさわしいのです」。また、マタイによる福音書第24章35節に記されてあります。「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」。
裁きの日が来る時、この神の絶対不変の律法がすべての者を裁きます。 聖書の、ヤコブの手紙第2章10-12節に記されてあります。「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点でも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。たとえば、「姦淫するな」と言われたかたは、また 「殺すな」とも仰せになった。そこで、たとい姦淫はしなくても、人殺しをすれば、律法の違反者になったことになる。だから、自由の律法よってさば刈るべき者らしく語り、かつ行いなさい」。
神が人に与えられた律法が絶対なので、神は一人一人に、その責任を問われます。 聖書の、ローマ人への手紙第2章6、11節に記されてあります。「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。なぜなら、神には、かたより見ることがないからである」。