イエスを知ることによって、わたしたちは安全を見つけることができます。 聖書の、ヨハネの第一の手紙第4章18節に記されてあります。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである」。
わたしたちは、自然災害の中にあっても、安心していることができます。 聖書の、詩篇第46編1-3節に記されてあります。「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない」。
神は決して眠らず、わたしたちを見守っていらっしゃる事を知ることによって、安心していることができます。 聖書の、詩篇第121編2-4節に記されてあります。「わが助けは、天と地を造られた主から来る。主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はみどろむことがない。見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない」。
安全とは、心を決めることです。 聖書の、詩篇第112編7-8節に記されてあります。「彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。その心は落ち着いて恐れることはなく、ついにそのあだについての願いを見る」。
キリストの保護のもとにある安全が、わたしたちにとって必要です。 聖書の、ヨハネによる福音書第6章39節に記されてあります。「わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えてくださった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである」。
わたしたちには、永遠の命をもっていることを知り、それがもたらす安全が必要です。
聖書の、ヨハネの第一の手紙第5章11-12節に記されてあります。「そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない」。