神に従うことはわたしたちの最高の興味です。 聖書の、申命記第30章15-16節に記されてあります。「見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。またあなたの神、主はあなたが行って取る地であなたを祝福されるであろう」、そして、申命記第10章12-13節には、「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、また、わたしがきょうあなたに命じる主の命令と定めとを守って、さいわいを得ることである」と記されてあります。

  律法、恵み、そして服従は、お互いに何をしますか? 聖書の、ローマ人への手紙第5章20節に記されてあります。「律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」。

  服従は、病からわたしたちを助けることができます。 聖書の、出エジプト記第15章26節に記されてあります。「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。

  服従は人生を成功にみちびく鍵です。 聖書の、ヨシュア記第1章8節に記されてあります。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」。

  神の律法へのわたしたちの服従にしたがって、わたしたちは評価されます。 聖書の、マタイによる福音書第5章19節に記されてあります。「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人におしえたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」。

  服従は神を愛する結果です。 聖書の、ヨハネによる福音書第14章15,23節に記されてあります。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 、、、もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父は、その人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」。

  主に服従する者だけに聖霊が与えられます。 聖書の、使徒行伝第5章32節に記されてあります。「わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。

  わたしたちがどのように父に従うべきかとの模範のために、イエスは父に従われました。 聖書の、へブル人への手紙第5章8-9節に記されてあります。「彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順であるすべての人にたいして、永遠の救の源となり」。

  国の法律を守るようにと、神はわたしたちに勧告なされます。 聖書の、ローマ人への手紙第13章1-2節に記されてあります。「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる」。

  時には、神と神の律法に従うことが、地上の権威に不従順を要することがあります。 聖書の、使徒行伝第5章29節に記されてあります。「人間に従うよりは、神に従うべきである」。

  子供たちは彼らの両親に従うべきです。 聖書の、エペソ人への手紙第6章1-3節に記されてあります。「子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。「あなたの父と母とをうやまえ」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。