安息日

  いつ、そして、誰が安息日を造ったのですか? 聖書の、創世記第2章1-2節に記されてあります。「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた」。

  何の理由のために、安息日を聖と守るのですか? それは、創造の記念だからです。 聖書の、出エジプト記第20章11節に記されてあります。「主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。

  誰のために、安息日が造られたと、キリストは言われましたか? 聖書の、マルコによる福音書第2章27節に記されてあります。「また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない」。

  第四番目の戒めは、何を要求しますか? 聖書の、出エジプト記第20章8-10節に記されてあります。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」。

  神は、彼と彼の民との間のしるしとして、何を指定されましたか? 聖書の、エゼキエル書第20章20節に記されてあります。「わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである」。

  安息日はまた聖別のしるしです。 聖書の、エゼキエル書第20章12節に記されてあります。「わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである」。

  新しい天と地では、あがなわれた者たちは、どのくらい主を礼拝しますか? 聖書の、イザヤ書第66章22-23節に記されてあります。「「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地が わたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名は ながくとどまる」と主は言われる。「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる」。

  キリストが地上に居られた時に、彼は安息日を守られましたか? 聖書の、ルカによる福音書第4章16節に記されてあります。「それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた」。

  どの日が、一週の第一日目を直ちに先んじていますか? 聖書の、マタイによる福音書第28章1節に記されてあります。「安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた」。

  はりつけの後、イエスに従った女たちによって、どの日が守られましたか? 聖書の、ルカによる福音書第23章56節に記されてあります。「そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ」。

  戒めによると、一週のどの日が安息日ですか? 聖書の、出エジプト記第20章10節に記されてあります。「七日目はあなたの神、主の安息であるから」。

  安息日について、パウロの習慣は何でしたか? 聖書の使徒行伝第17章2節に記されてあります。「パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ」。

  安息日の戒めが一部である神の律法について、キリストは、何を言われましたか? 聖書の、マタイによる福音書第5章17―19節に記されてあります。「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よくよく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」。

  どのような種類の礼拝を、神の戒めに従っていないと、救い主は呼ばれますか? 聖書の、マタイによる福音書大15章9節に記されてあります。「人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる」。

  終りの時の、神の民の特色は何ですか? 聖書の、ヨハネの黙示録第14章12節に記されてあります。「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつつける聖徒の忍耐がある」。